昭和47年4月17日   朝の御理解    大坪ハルコ

御理解第64節 此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。


 ここんところ、毎日、えー、必ず、信心辛抱と、信心辛抱のその、内容と言うか、今まで、信心辛抱と思っておったことも、もちろん信心辛抱ですけれども、えー、一段と進んだ意味においての、信心辛抱がかけておるとして、まあ、そのことが必ず、あの、おー、お話しの中に出ておりますから、皆さんそこんところをよく、おー、よる?頂いて、いかなければいけないと。ね、ここへ参って、尋ねるところ。ここそういう、そのことに、神様も焦点をおいてくださっとるのではないかと思います。
私共も、だから、焦点をおくところをそこに、針をおいて、御理解は、あー、毎日違いますけれども、そこから頂いていかなきゃならん。

 今日私はあのー、えー、徳を受けて、にしのぎをするようになれということは、徳を受けるということは、一辺に、一足飛びに徳を受けるといったようなことじゃ、絶対にないと思うです。ね。それは、あー、徳というものは、それこそ、石段を登るように、一段、一段登らせて頂くのである。そして、その一段、一段が、いうならば、もう徳である。ね、そしてそこへ、極めたところに、例えば、にしのぎをするようになる。だから、自分の信心によって、教えによってです、にしのぎができるほどしに、だんだんなっていくというを、最近は、解かれますもんね、ここでは。ですから、あー、例えば、黙って治めるなんかそうなんです。これも、にしのぎができておるんです。
言いたいけれどもいわん。ね、しかもその、おー、それによって、なら、例えば、おかげは、あー、願うとか頼む以上のおかげになっていくと。

 えー、昨日の、えー特別奉修委員の方達の、おー、ご記念後の、御理解の中にも、そんなことで、あの、治めるという字の、さんずい辺をとったこっちのほうですね。ム口と書いてある。これは、土台の台という字ですよね。無口だけは。いわいる、信心の基礎なんです。信心の土台なのだ。いうなら、お徳を受ける、受け物が、いよいよでけていきよるということ。ね。徳の土台ということにもなる。

 私は今朝、ご神前で、あのー、おー、昔の方達の、あのー、娘さんから、女の一生と言ってもいいでしょうね。一生に、結う髪型をずーと、いろいろ頂きまいした。あの、娘さんのときに、桃割れっていうね。それから、島田結います。嫁さんになりますと、丸髷を結います。ね。それから、まあー、いろいろなまあ、髪がありますよね。私共がしっとるだけでも、おー、島田を崩した、なげ島田とか。またいちょう髷とか。ね。えー、それやら、もう年をとって結うのに、勝山っていうのがあります。そういう、髪型を次々に、こう、御神願に頂いてです、そして、今日は、ここんところを頂いて思うのですけれども、徳を受けて、にしのぎのできれる、一つの過程というかね、段階というか。

 ね、例えばあんた、60にも70にもなっとってから、桃割れ結うっとっちゃでけませんもんね。それこそ、色気違いのごたる。だからね、そのー、信心気違いっちゆうとがやっぱありますたい。ね。だからね、ほんとに、はや、ある意味では信心にぼうけとるというときがあってもいいのですけれども、なら、それが一生続いたらおかしいですわね。

 ね、昨日は、あー、久留米のおー、三橋先生の、今の三橋先生の連れ合いでありますとこの、三橋寿一郎、寿一郎先生の、おー、亡くなられて、丸15年の、15年の式年祭が、ここでございまいた。どんな(  )で、仕えたらよいだろうか、どんなふうに、どんなふうにとこうゆうて、なら、心にかかる、うー、度に、えー、もう前々からこの15年の式年祭のことをお願いし続けておりました。おかげを頂きましてからもう、ほんとに、お供えなんかでも、ほんっとに見事なものが、あちこっちから思いがけないものが集まってまいりましてね、えー、お参りも、あの、まだここができまして、あの、お母さんという方は、みえたことが無かったんですけども、昨日その、おー、久留米の方のお母さんです。お母さんも、それから娘も、孫も参ってきておりました。もちろん、北野のお母さんも、お参りでございました。

 まあ、親戚は、まあ、それだけでございましたけれども、おー、先生に、ゆかりの深い、えー、方達が、えー、総代さん達を始め、父兄会の方達もみんなお参りしておりました。ほんとに、有り難いお祭りでした。

 えー、終わってからの、御理解の中に、だんだんお互い信心を頂かしてもらう、信心を、まあ、信心は頂かなくても信心とは、こんなもんだと、もう、おもっとる人がありますよね。ちゃんと自分の心の中で、おが?なら、えー、ね、神様は、ね、えー、(正直のこうべに神宿る?)と言うて、正直に生きさえすれば、神様は守って下さるんだと。祈らずとても神は守らんなんて、そんなことを、ゆうんですけど、そんなことは決してありませんです。やっぱ、祈らなければ神様は守って、守って下さってあるんですけれどもね、それを、キャッチしきらないだけのことです。ね。正直のこうべに神宿ると言うて、自分が正直と思うとるけれども、正しくあると思うておるけれども、そりゃ、自分の、自分よがりなんです。やはり、教えを頂いて、はあー、ちごうておったところは、ちごうておった。改まるところは、改まっていくということになって初めて、信心なんですから。

 ね、私、えー、あの、ごけ、神様へ御記念中に、頂くことがね、えー、「うちわ」を頂く、こう、うちわ。うちわのね、神がついて無い、骨、骨ばっかり。こう、大きなうちわですけれども。まあ、私は、これはどういうことだろうかと思ったけれど、まあー、ひょっとすると、三橋先生のお母さんあたりに対する、御理解じゃなかったろうかと思うんですけれど。あちらは、もう、実にいき届いた方です、お母さんって言う方は。そして、なんて言うですかねー、まあ、ほんとに女性らしい、いうなら、よいお母さんです。けれども、二度目にみえとる方ですから、いわいる、三橋寿一郎先生のためには、ぎりのお母さんなんです。もう、よる?でけた方なんです。しっかりした、でけた方なんです。

 同時に、あの神主さんの娘さんですから、もう神様のことなんか、誰よりも詳しいです。まあーだ昔、私共が素人の時分に、久留米にお祭りを仕えに行きますと、えー、しげ?の切り方やら、あの、みさ?の使い方やらが、まあだ、不恰好だと。お母さんがして下さりよりました。というように、詳しいわけなんです。ね、だから、まあ、一通り、神様はにぎっちゃるわけ、信心ちゃこんなもんだということを、にぎっておるんですけれども、ね、神様がついてござらん。ですから、神がついてない、いくら扇いだっちゃ、涼しいことはない。人に涼しい風をおくることもできない。これは、金光様のご信心でもおなしことですよ。

 いつも、桃割れの時代の人がありますよ。はあー、信心は大変詳しくなって、本も読んだ、話も聞いた。金光様のご信心とは、こういうもんだというて、実行はいっちょんできんから、心の中に、喜びもなんも感じきらない人があるです。ね。いわいる、話どんするなら、そりゃ、詳しい。はあー、人にお説教することなら、もう見事にやる。けれども、自分自身が、だから、人んでも、例えばね、求められてのときなら別ですけれどもね、ゆうて聞かせたり、こうって言うような、例えば最近、黙って治めるということが、黙っておられないようなときには、今私の心の中には、信心がもう抜けておるときだと思わなきゃでけんです。有り難いというものがあるときなら、絶対、ゆわんですむです。こりゃもう、不思議です。どういう目に余るようなものを見ましてもです、有り難いものが心の中にあるときに、決してゆわんですむです。だから、自分の信心の有り難いか、有り難くないか、ほんとのとこに進んでおるかということの、一つバロメーターにもなります。ゆう、ゆわないということは。

 ね。だから、そういう、なら、信心をです、ただにぎっておるだけでは、やくにたたないでしょう。ね、うちわのいうならば、紙の付いてないうちわで扇いでおるようなもんですから。ね、紙というのは、そこに、付いてくださる。神様は寄り添って下さる。ね。骨ばっかりのうちわに、いわいる、神が寄り添うたときに、うちわとしてのおかげ。自分も涼しい思いをすることができるなら、人にも、涼しいものをおくってあげることができるほどしの、ものなんです。

 ね、だからあれほど、言うならでけたお母さんが、もし、金光様のご信心を、いうなら、三橋先生がこの頃、ラジオで放送いたしました内容を、お母さんが身につけられたら、もう、ほんとにおじいさんが亡くなられて、義理ではありますから、いっつも心配が絶えないわけです。先はどうなるだろうかと、それは三橋先生がいつもお取次ぎを頂いているんです。それで、三橋先生が、ほけんごとしとるわけですよね。こちらは、安心のおかげを頂いとる。喜びいっぱいなだもん。先はどげんなるなんて、考えとらんもん。だから、あんたばっかりは、もうほんと、自分の娘のこつば、自分の孫んこつば、とゆうてから、娘やら子供達のことのいろんな問題がおこってまいり。

 この頃から、息子があんな事故を起こして、病院に入院せんならんようなことが起ってもです、いうなら、落ち着きはらっとるね、どうか、お母さんの方が、モヤモヤしなさるぐらいなこと。だから、片一方は涼しい風をうけておる、片一方は、にぎっておるけれど、けれども、実生活の上にはひとーつも役に立っていないということ。とりこし苦労がある。不安がある、心配がある。イライラする、腹立てんでよいことに、腹を立てるということになってくる。

 そこでその、あたくし共の信心がです、徳を受けてにしのぎをするようになれという、西のぎがだんだん、できてつつあるところの過程を自分の心の中に、よく見て、見極めていかなきゃならん。あー、おかげで、このくらいなことまでは、ゆわんですむ自分なっとるというときには、そこまでのは、もうあなたはにしのぎがでけとるということなんです。にしのぎというのは、自分で自分のことぐらいは、まかなえるということ。自分で自分の心を安静に、平然に保っておれれるということ。これが、にしのぎです。ちょっとしたことが、イライラする、ちょっとしたことが、腹が立つ。ゆわにゃおられん、という時には、にしのぎがでけとるときじゃない。いや、今日の私の言葉で言うとです、ね、今神様を外しておるときだと。自分の心に、喜びが全然ないときだと。というてです、例えばなら、喜びがいつもかつもあるわけではないのでございますから、ね、黙って治めよう、黙って治めようと仰るから、金光様、金光様と一心におすがりさせて頂いて、自分の胸をなでおろすようにして、有り難くないときね、まだ、辛抱せんならん。それが、私は信心辛抱だと思うです。

 ね、三代金光様が、始めの間はよう泣きましたが、つろうて、つろうてよう泣いたと。まだ、御年たった13歳。しかも、朝の4時から、終日お座りになっておるだけでも、大変なことだったろうと思うです。ね。始めから金光様が有り難い思いでお座りになったのではなかった。始めの間は、つろうて、とろうてよう泣いたと仰せられる。しかもそれが、70年間。ね、そうして信心辛抱し抜かれていくうちにです、思うこともなりゃ、ほしいものも無くなる。ただ、あるものは有り難うて、有り難うてということになっておられる。

 ですから、私共は小さいひとつの区切りというものをです、ひとつそこにゆうなら目に余るような問題を眺めたときにです、こりゃひとつゆうとかにゃならんっと、ゆうようなことですもです、それをグッと、金光様、金光様と、でけんときには、お取次ぎをそのことを頂いて、ゆわんですむ、そして、自分の心を肥やしていくことの、昨日の御理解ね。肥やしていくことに、一生懸命精進させてもらう。肥やすときに、肥やしをかけるときじゃけん、いろんなその有り難いことが無いとけして。まだ、肥えてしもうとらんとじゃから。ね。けれどもその、そこんところが信心辛抱なんです。

 ね、親先生が黙っとけ、黙っとりゃちょっと治まってくるおかげが頂けれると仰るからとゆうて、一日黙っとったけん、あくる日はもう、おかげになったということはありえないという。そりゃ、あることもあります。ね、けれどもそれは、1年かかるやら、2年かかるやら、3年かかるやら、それがわからないこと(    )。ね。大きな一つの願いといったような場合なんかそうなんです。そこを、辛抱していくに従って、自分の心の中にです、ね、はあー、今こそもう丸髷が結えるようになったなあーとか、ね、せっかく丸髷が結いよったつをまた、投げ島田にせにゃならんといったようなことに、後に戻ったり。

 私は勝山という、最後んところの勝山というのは、山に勝つというふうに頂いたらどうだろうかと、今日は思うた。そう頂いて。山ということは、修行ということです。山に登るということは、修行ということ。その修行に、やりぬくということ。登りぬくということ。ね。いよいよ年をとって、もう髪が少ーしになってからでも、こう、ね、勝山結う、昔あのおばあさんがおられましたよ。まあ、最後のこれを髪型としてですたい、その勝山までをです、私共がです、信心辛抱しぬかせて頂いたときに、あれもおかげこれもおかげと、私は言えれるそういう心の状態が、にしのぎのできる、でけたときなのだと思うのです。

 だからもうね、金光様のご信心でもう実に、素晴らしいだけではなくて、楽しいんです。わかる。自分の心の状態が。ね、お徳というものをなかなか見えるもんじゃありませんけれども、自分の心の中にかんずることができるもん。はあー、自分はこのくらいのことは、もうゆわんですむどころか、有り難く頂かれると思うたら、はあー、もうそこまで、お徳というものは進んでおる。そこまで、にしのぎがでけておるということがです、ね、そして、にしのぎのできれる信心とは、どういうことになるかと。もうそれはそれは、夢にも思わなかったようなおかげが展開してくるんです。

 ね、私は今日は、ここのにしのぎの、するようになれと仰る、そういうにしのぎをでけれる信心を目指させて頂く、一つの過程といったようなものをね。自分で、自分で感じれれるところまで、ね。自分の信心をいつも検討していかなければいけないと、こう思います。

 幹三郎が、病院に、(  )入院中に、たくさんの人がお祈りぞえをくださった。毎日、毎日たくさんなお届け、お取次ぎがあった。ね、中に、合楽の田中さんが、えー、その、おー、幹三郎が退院いたしました時、ちょうどその時の十三日会だった。その十三日会で発表されました。私は今度の幹三郎さんの、お病気のこと、どーでも助かってもらんならんと、その一念から、ね、こういうふうに思わせて頂くようにいたしました。お願いをする、お取次ぎをするだけじゃいかん。ほんとに助かって頂くためには、いわば修行させて頂くという、姿勢をとらせて頂いて、いうならば、それこそ、茶碗を洗わせて頂いておっても、ご飯を炊かせて頂いておってもです、これは幹三郎さんが、ね、いわばあたくし(  )ご祈念成就のことのための修行だと思うたと。よそに、あの時分はなんか、(  )の時分なんかがあった。よそに、あの、お手伝いにいかれるようなことがあったと。まぁ、ゆうならば、今でゆうならば、お付き合いで証拠となしのことでございましょうけれどもです、やらせて頂くこと、これが、幹三郎さんが病気が治られることのための修行と思うたら、よそのただでの、ゆうならば、働きがもう、有り難うして、有り難うして、こたえじゃったという、発表をなさいましたですね。

 もうほんっとにあの、私はその時分に、そのことをいつも取り上げては、もうここ、ここに極まると、私共の修行の姿勢というものは。ね、だから、どういうふうに、例えばもう、ゆわにゃたまらんといったようなことであってもです、あたしどもが大きな願いを立てておるとです、その大きな願いが成就することのために、ゆわんということになるとですね、苦しいじゃなく、楽しゅうなってくる。そういうです、色々な、私はあー、その、辛抱するというても、辛抱の例えばその、おー、辛抱の仕方とでも申しましょうか。ね、自分の身に切実な一つの願いをもって、その願いが成就することのために、こうはしない、こうすることも、っと全部それが修行になってくる。そのことが、楽しゅうなってくる。もう、ほんなこと、お茶碗を洗いながらでもね、これは幹三郎さんの病気全快のための修行と思うてから、もう、ほんとに、うれしゅう、有り難う、言うなら、茶碗、そのかっての御用がでけたというておられましたよ。

 素晴らしい、私は、その、思いつきだと思いますね。信心修行させて頂く者。そういうふうに、お互いが、こうさせて、だから、そういう生き方でいっておるとき、今あなたは、にしのぎがでけとるときなんです。人に迷惑かけるどころか、自分は、そういう例えば、苦しいことであろうが、あー、きついことであろうが、ね、それが、きつければきついほど、あたしの願いが成就していきよるときという、頂きかたなんですからね。

 そういうふうに、まあー、あー、おかげを頂いて頂きたい。また同時に、なかなかそのー、そういうふうに、思い込むとか、ということはやはり自分が、聞いたからぐらいで、できるこっちゃありません。けども、いろいろと自分の信心に工夫をつけて、えー、身に徳を受けていっておる、そのことが楽しゅうなる。にしのぎをさせてもらえるほどしの、だんだんおかげにむかって、進んでおるということがです、日々のこうした信心の、んー、けいこであるということになってまいりましたらね、信心が一段と楽しゅうて、有り難うなってくると思います。

 此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、ここは皆さんのところで、ね、(  )のところを、こうやって参ってきておるが、ね、いうなら、今日の御理解を頂いて、いわいる、参って尋ねるところがない人もたくさんあろうと。信心を進めていく人。ね、そういう(  )の場合は、もう信心はわかっというて、いうなら、うちわに紙の無い、うちわを握っておるから、信心をにぎっておるようであっても、おかげというものはともなわない。けれども、ここでは、参って尋ねるところが、聞かせて頂くことができる、このようにして。ね、そのことを、まず第一に有り難いと思わにゃならん。

 ね、そこから、開けてくるところの心の状態がです、ね、信心がだんだん進んでいくのである。ゆうなら、髪型が、ね、年をとるにしたがって、信心が成長していくにしたがって、自分の信心の髪型が、変わっていくことを楽しみに、信心させてもらわにゃならんですね。どうぞ。